葵祭は京都三大祭のひとつで、わが国の祭のうち最も
優雅で古趣に富んだ祭として知られています。
平安朝の優雅な古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発、
総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。
祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇(6世紀)の御代、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、 卜部伊吉若日子に占わせたところ、賀茂の神の祟りであるというので、4月の吉日に神託に基づいて葵桂を飾り、馬には鈴をかけ、 人は猪頭(ししがしら)をかぶって馬を駆けさせたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったと云います。
また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中祀)として行う国家的行事となり、 現在まで王朝の伝統は忠実に粛々と守られてきました。
この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、 わが国の祭のなかでも数少ない王朝風俗の伝統が残されているというところです。
賀茂祭が一般に葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に行列が再興されてのち、 当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、勅使、供奉者の装束、牛車(御所車)、牛馬にいたるまで、すべて葵で飾ることから、この名があるとされています。
この祭りを飾る葵の数は約1万枚、昔は境内に自生する葵を使用していました。
この葵祭を健全に伝承していくためにも、境内あるいは協力機関との連携によって育成した葵で賄えるような環境づくりが必要であると感じています。
葵祭 「禊ぎ」
葵祭 「斎王代以下女人列」
葵祭 「社頭の儀」

